OB・OG Interview 04 川添 太久真さん
2021.2.12自分の海外生活を生かして
挑戦することの大切さを伝えたい
岐阜聖徳学園大学附属小学校教諭
川添 太久真 さん
[かわそえ・たくま]
三重県出身。2007年3月、教育学部学校教育課程国語専修卒業。岐阜県と三重県の小学校に4年間勤務した後、ジャカルタとニューヨークの日本人学校で9年間教壇に立ち、帰国。2020年4月、岐阜聖徳学園大学附属小学校に教諭として赴任。
子どもの成長に感動した
思い出の卒業式が原点に
―教員を目指されたきっかけは何だったのでしょうか。
実は高校時代は野球ばかりしていて。卒業後に1年間浪人して勉強したんですが、自分の将来について考えたとき、「教育」に心が向きました。学校が好きで、人の役に立つ仕事がしたかったため、教員になるという目標が明確に見えたんです。
―本学在学中に学んだことや、思い出に残ることはありますか。
1年生から4年間、ボランティアサークルに所属していて、週に2回、公立小学校で特別支援教育の手伝いをしていました。そこで小学2年生から5年生になるまで成長を見守っていた子がいたんですが、私が大学卒業後に初めて特別支援学級の講師として赴任した岐阜県内の小学校にその子がいて、一緒に卒業式が迎えられたんです。
―学生ボランティアの頃から先生になるまで、5年間にわたってその子と関わることができたんですね。
最初に出会った頃は言葉の理解がゆっくりで自分から言葉を発することも難しかった子が、会話が成り立つようになり、小学校を卒業する頃には漢字が書けるようになっていて。「子どもの成長ってすごい」と感動しました。その子の卒業式を見届けられたことが、今の原点になっています。
―その後は三重県の小学校に赴任されたんですね。
故郷の三重県で3年間、小学校で国語を教えていました。しかし、自分が受け持っていた小学2年生のクラスの児童が、両親の海外転勤でバンコクの日本人学校に転校したんです。
―小学校2年生でバンコクへ…。
その教え子の転校がきっかけで海外での生活や日本人学校に興味が湧き、私も20代のうちに海外で暮らして視野を広げたいと思うようになりました。そこで、いろいろ調べるうちに、海外子女教育財団のインドネシア共和国のジャカルタにある日本人学校の教員の募集を見つけて、夜中に履歴書を書いて送りました。すると、2日後に校長先生から国際電話がかかってきて。「本気ですか?」と聞かれたので、「はい!」と返事をしたら、「ではぜひ来てください」と採用が決まりました(笑)。
海外での教員生活に
挑戦して自信がついた
―ジャカルタの日本人学校はどんな感じでしたか?
ジャカルタは大きな街で、日本人もたくさん住んでいます。赴任した学校には30人のクラスが1学年に4クラスほどあり、全校生徒が約700人いました。校長先生は北海道出身でしたし、教員も日本中から集まっていて、岐阜聖徳学園大学のOBやOGの方もいましたので心強かったです。もちろん、子どもたちも日本各地から来ていて学校で友達になっていました。
―3年間ジャカルタにいた後、ニューヨークに移られたんですね。
ちょうど縁があって、ニューヨークの日本人学校の教員の募集を見つけて、自分が全く知らない場所での暮らしに挑戦しようと思って履歴書を送りました。オンラインでの面接などを経て採用されたんですが、ビザの取得から、最初に滞在するホテルやその後に住む物件探しまで、すべて自分でやならくてはならなくて、慣れるまでは大変でした。
―ちなみに、小さい頃から思い立ったらすぐ行動に移すタイプだったのでしょうか。
いえ、もともとは大人しくて穏やかで、積極的に行動するタイプではなかったんです。でも、思い切って海外での生活に挑戦してみると、そのきっかけ一つでいろんなことが変わり、自分に自信をつけることができました。
―英語は得意だったんですか。
それも実は得意ではなかったんですよ(笑)。でも、海外生活では英語が役に立つので、まずは嫌いにならず、間違えてもいいからとにかく英語をしゃべることを心がけていました。
―ニューヨークで9年間過ごされて、永住することは考えませんでしたか。
実はグリーンカード(外国人永住権)を取得する手続きもしていたんです。でも、自分の海外経験を生かして日本で教員を続け、日本の子どもたちに海外へ挑戦するきっかけを与えられたらと思って帰国することを決意しました。
いろんなことに挑戦する
勇気を持ってほしい
―昨年から本学の附属小学校に赴任されて、どんな学級づくりを心がけていますか。
現在は2年生の担任をしていますが、子どもたちには明るい心を持ってほしいと思っています。そのためには、まず自分が明るくいることを大切にしています。
―子どもたちの様子はいかがですか。
教室の壁にたくさん賞状が貼ってあるんですが、あれは子どもたちが自主的に、係活動を頑張った子に渡し合うようになった賞状なんです。子たちがお互いの良いところを見つけ合えることは素晴らしいと思います。
―とても素敵な取り組みですね。
それから、私は歌が好きなので、教室にもいろんな歌の歌詞を貼っています。コロナの影響で今はみんなで歌うことができませんし、子どもたちもマスクをしながら授業を受けて、給食も席で前を向いて一人で食べることが続いていますが、早くみんなで一緒に合唱ができる日が来ればいいなと思っています。
―子どもたちに伝えたいことや願いなどはありますか。
私が海外で生活していたときを振り返ると、何かトラブルが起きたり、困ったことがあったときこそ、たとえば英語力が伸びたりと、自分を鍛えて成長することができました。
―たしかに、必要に迫られるときほど力が発揮できますね。
子どもたちにも、壁に突き当たったり、苦しいときこそ成長できるチャンスだと考えて、いろんなことに挑戦する子に育ってほしいと思います。そして、小さな勇気を持つことを大切に、いつか海外へ飛び出していってグローバルに活躍してくれたらと思っています。
[国連本部見学]
ニューヨーク滞在中に子どもたちを引率して国連本部ビルを見学したことが印象に残っています。国連では加盟する193カ国が平和を目指し、さまざまな会議を行っています。私の教え子たちにも、将来、真の国際人となって世界の最前線で活躍する人になってもらえたらと思います。
ー岐阜への想いー
私にとって岐阜は大学生活を過ごした思い出深い土地です。現在勤めている小学校の教室からも養老山脈が眺められますが、岐阜には山も川も温泉もあり、空気がきれいで、食べものもおいしいですね。
岐阜の人はとても人柄も温かいので、9年の海外生活を終えて岐阜に落ち着くことができて本当に良かったです。